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Nago Mitill
きみが、 もし 世界から いなくなってしまったら
きっと、 僕は 泣くよ。
きみが、 僕と出会う前に 何もかもを あきらめてしまったとしたら
きっと、 僕は 悲しむよ。
僕は、 自分の悩みを 背負って歩くので精一杯の
ささやかで、 平凡な人間だから
きみが望む すべてのものを 満たしてあげられるわけじゃない。
きみに、 特別な たくさんのことを してあげられるわけじゃない。
でも、 僕は きみに 手を差しだすことはできる。
手を取り合って、 生きていこう、 一緒に。
ちっぽけな、 平凡な、 ただの人間の手だけど
思いだけは精一杯、 この手を差しのべるから
どうか、 力強く 笑って。
僕は、 きみと共に、 未来を 夢見たい。
ただ、 それだけは
どんな理由があろうとも、 あきらめない。
僕は、 きみの声が聴きたい。
きみの歌を聴きたい。
忘れられた古い灯台のように、 傾きかけた荒野の道標のように
僕は、 ささやかだけど きみを助ける
きみを支える
そんな存在でありたい。
だから
きみが、 もし 世界から いなくなってしまったら
きっと、 僕は 泣く。
きみが、 僕と出会う前に 何もかもを あきらめてしまったとしたら
きっと、 僕は 悲しむ。
僕は きみと 手を繋ぐことができる。
きみと、 言葉を 交わすことができる。
だから
どうか、 力強く 笑って。
さあ、 明日への扉を開いて飛ぼう。
(2006年・筆)
[備忘録]
この詩は、2006年の締めとして、「泡沫の詩の保管庫」にあったものを組み合わせて作ったものです。
「声」、「歌」、「未来を夢見る」、「手をつなぐ」、という言葉は、今更ですが、私の詩によく出てきますな。
「忘れられた古い灯台のように、 傾きかけた荒野の道標のように」というのは、一応、私が、ここ数年ずっと持っている、自分の目標とする生き方のイメージです。
自分で読んでみて思ったんですが、この詩には私の人生観というか、こういうふうに生きたいというモチーフが込められています。
まあ、曲がりなりにも一応、先生(大学の先生ですがね…)になってみようかと思った動機やら理由やらが表れてるのかな?
私は、なぜか、かなりの頻度で人に道を聞かれるのですよ。どこにいても、そうです。
もう慣れっこで、地図もよく持ち歩いてます。怪しい人でないかぎり、バス停だろうが駅だろうが、ちゃんと案内します。そうこうしてるうちに思ったのですよ。私は、どーも、色んなたくさんの人を、その人がちょっと迷ってる時に、ささやかながらちょっと案内して導く、そんな人間なんじゃないかと。
そーいう意味じゃ、大学の先生っていうのは、いいポジションです。ささやかながら、色んな人の人生に軽く関わって、ふと何かの縁で自分のところに立ち止まる人を、ささやかながら指導します。
普段は忘れられていて、ふと必要な時にだけ存在することに気づかれる、 忘れられた灯台の Guiding Light 。
それが、私の理想の生き方ですね。
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詩は思いついた時に書いてます。まったくもってノロノロなブログですが、週一更新を心がけております。のんびりご賞味下さい。