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Nago Mitill
「泣かない大人になりなさい」、 そういうふうに育てられ、
それが 正しかったのか、 疑問を持った時には、
僕は、 「泣けない大人」になっていた。
涙の無い僕の世界では、 何も悲しくないのです。
胸しめつける、 痛みも苦しみも、 ない。
ただ、 この世界は全てが色褪せていて、 ガラス越しの鈍い感覚、
モノクロームなのです。
君が、 あの時 何故 泣いたのか、 僕には分からなくて。
笑顔に意味があることさえ、 知らなかった。
君の優しさに気付けなかった僕の隣、 もう君はいない。
涙の無い僕の世界では、 何も悲しくないのです。
涙に変えられなかった凍えた感情が、 淀んだ怒りとなって積もるだけ。
この世界には、 いつも理不尽な怒りが渦巻いていて、
ガラス越し、 僕を拒否する外の世界へと向かっていくのです。
そして僕を、 モノクロームの中、 孤独にする。
泣くことの意味を知らなかった僕は、
僕を孤独にしているのが、 僕自身だと気付かなかった。
君の涙、 君の悲しみが、 分からなかった。
泣けなかった、 大人の僕。
でも本当は きっと、 泣きたかった。
涙の無い、 泣いてはいけない、 意地っ張りな僕の世界を打ち壊し、
モノクロームじゃない君を抱きしめて、
声に出して僕の心を伝えたかった。
泣くことの意味が分かったら、 僕は悲しみ、 苦しむだろう。
それでもいいと思える勇気が、 僕の感情を自由にする、
僕の世界を、 鮮やかにする。
素直に泣いて笑える、 そんな大人になれたら出かけよう、 外の世界へ。
もう一度、 君と出会うために。
(2007年・筆)
子供の頃、「泣くような弱虫はダメ!泣かない強い子になりなさい!」なんて言われて、説教されることが、よくあるような気がします。で、「ちゃんとした大人は、強い人間で、泣いたりしちゃいけないんだ」という観念を心に刻んで、成長するのです。
でも、「泣いてはいけない」「感情のまま行動してはいけない」っていうのが、行き過ぎてしまうと、「泣きたくなることそのものが無くなる」…つまり、感情そのものが希薄、淡白になってしまうのではないかと思うのです。
感情が淡白な世界では、悲しみや苦しみは鈍く遠く思われて、あまり感じられません。その点では、ツラクないのですが、同時に、この感情淡白世界では、喜びや楽しさもまた、鈍く遠く、あまり感じられないのです。
もちろん、ささいなことで安易に人前でよく泣いたり、自分の感情のまま理性なく行動するのが、良いワケではないですね(笑)。それが許されるのは、やはり子供だけと言いますか、大人になったら見に付けなきゃいけない分別が必要と言うか。
でも、大人は「泣いてはいけない」わけではないし、「感情をもって行動してはいけない」わけでもない。
一人の時には自由に泣いてもいいし、あるいは、泣くことが許されるOR本当に泣かなくちゃいけない、という状況が人生にはあるんではないか、そう思います。
感情が鈍い世界は、無味乾燥としてます。
ツラク悲しくても、一方で、喜びや楽しさが鮮やかに感じられるように、ちょっと素直な大人でいたいものです。
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詩は思いついた時に書いてます。まったくもってノロノロなブログですが、週一更新を心がけております。のんびりご賞味下さい。