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Nago Mitill
「過去があるから、 未来があり、 今があるのだ。
今があるから、 過去があり、 未来があるのだ。
未来があるから、 今があり、 過去があるのだ。
今は未来であり、 かつ、 今は過去であるのだ。」
「ああ…私は時という舞台の上。
その時を 私は歌い、 声を上げ、 踊り続ける。
その瞬間を、 踊り続ける。」
すべてを捨てて ここから逃げ出したら、
楽になれるだろうか?
今まで築き上げてきた自分を捨てれば、
生きるための幾つもの苦痛は消えるか?
でも、 籠から逃げ出した鳥は
屋上から空へと 飛び立てたのか?
地に叩きつけられる無残な体とは逆に、
心は、 軽く 空へ舞い上がれるとでも?
息をつく場所がない。
すべてを委ねて休める場所がない。
現実から逃げ出したくなる日常
すべてを投げ出したら、楽になれるか?
でも、 舞台を途中で飛び降りた僕に、
カーテンコールは、 かかるだろうか?
忽然と幕だけが落ちた僕の舞台に、
感動の拍手は、 鳴り止まないだろうか?
…籠から飛び出した鳥は、
屋上から空へと 飛び立てたのか?
地に叩きつけられる無残な体とは逆に、
心は、 軽く 空へ舞い上がれるとでも?
こんな大人が泣くなんて、 情けないと
呟く 僕がいるけれど
大人だって誰でも子供に戻り、 泣いてもいいのだと
過去と未来の僕が、 僕に許す。
何の必要もなく生まれてくる存在などないのだと、
幸福に青空を見上げている 子供の僕が言い、
未来という可能性を忘れてくれるなと、
穏やかに笑む 未来の僕が
だから 今、 ここに生きているのだと
明日へと 僕を呼ぶ。
そうだ
傷つき血を流す生きた手が自分にあることを忘れて、
ただ、 自分の存在に苛立っても仕様がないのだ。
誰かの手を待っているのは、 きっと 傲慢で、
自分で 手をのばして 生きてみるのだ。
未来で 待っている人のために
僕は今、 この壁を越える。
立ち上がるために、 生き続ける。
「だって、 ほら、 いそがなくても
その時は、 いずれ 誰にも平等に訪れるさ。
力尽きた肉体が地に伏し、 許されて旅立つ その時が来たら
なにも迷わず、 遠く青空へ飛び立てばいいだろう?
できれば、 フィナーレ、 ラスト・ダンスを大切な人たちと甘受して、
紛れもない自分自身からと、この世界で出会った全てのものたちからの
カーテンコールを 聞きながら。」
(1994年筆・2006年編)
[備忘録]
12年前頃に書いた散文3つを合体させ、一つの詩に仕上げてみました。ずばり自殺を取り扱った詩です。
なんか、小学生の頃のほうが、物事を真面目に考えてますね。大人になるほど、だんだん、いい加減な人間になっていく私…(笑)。
「未来で待っている人のために」というフレーズは、当時は書きながら本当にそんな出会いがあるものかなあと、半信半疑で実は書いてましたが、その後、中学、高校、大学と、それなりに多少待っていてくれた人がいたので、けっこう人生捨てたもんじゃないなーと思ってます。
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詩は思いついた時に書いてます。まったくもってノロノロなブログですが、週一更新を心がけております。のんびりご賞味下さい。